すーののメモ

どんなことがあっても♪

お後がよろしいようで

(=゚ω゚)ノ。

「お後がよろしいようで」というフレーズの意味についてのお話です。

 

僕は間違って覚えていました。

 

いや、正確には、正しい意味を理解せずにぼんやり捉えてしまっていました。

 

何かうまい事を言った後に締めの決まり文句として言うもの、と思っていました。でも、その理解は本質からは逸れていました。

「お後がよろしいようで」というのは、「次の人の準備ができたようですね」という意味なのだそうです。

 

「お後がよろしいようで」というのは、落語家が話し終わってから言いますよね。落語家は必ず後味の良い”オチ”を用意しています。だからなんだな。

「お後がよろしいようで」というのは、本来の意味ではつまらない話の後でも使えます。でも、僕たちは、その言葉をオチと一緒にしか聞かない。だから、無意識の内に、お後がよろしい、と、面白いオチがあった、というのを結び付けちゃって、しまいには、お後がよろしい=後味がいい、なんて解釈しちゃう。

落語家が上手く話しすぎたせいで、言葉の意味が違うように受け止められるようになった、という言い方をすれば皮肉っぽく聞こえますね。

 

そもそも、言葉は注意しないとふわふわしますよね。

 

同義語というものが世の中に沢山存在するのが、ふわふわを物語っているんじゃないでしょうか。「同義語」っていう言葉はあるけれど、厳密に=な言葉なんてのはないはずですよね。だって、僕たちは、言葉を把握するときにその発音や文字面までも”一種の意味”にしちゃいますから。姿が違えば役割が大なり小なり違ってくるのは当然です。まあ、細かいことは気にする必要はないんですがね。「ありがとう」と「有難う」と「アリガトウ」の皆意味が同じですか?そういう話です。

 

言葉が意味を変えていくのは、宿命かもしれません。

しかし、言葉を基盤として成り立つ現代社会においては、どんどん言葉が変わっていっては不都合なのでキチンと言葉の伝統?を守るのが大事になってくるでしょうね。

時代に沿って変えたほうが良い言葉は確かにあります。でも、そういうのを自覚してしまう現代だからこそ、変えなくてもいいものは大切に守っていきたいものだと思います。

 

言葉の誤用をしないということは、僕たちの少し昔を生きた人達に敬意を示すことでもあるんじゃないでしょうか。

 

どこの口がほざいてるんだと言われそうです。

(=゚ω゚)ノ。