語彙力は年を取っているほうが有利。その真相は分からないが、年を取ると「曖昧だけど、なんとなく使えてしまう」言葉が多くなりやすいと思っている。
例えるならボールである。深い意味を理解していれば中身が詰まっている。一方、理解が少しずつ抜け落ちて、ぼんやりとしたイメージだけが残ってしまうと、それは中身のないボールである。そうなると容易に潰れ、遠くに届く強靭さはない。
僕には曖昧な言葉を書き留めて調べる習慣があるのだが、改めて考えてみると、それは言葉に意味を詰める作業なのだと、そんな解釈ができると思った。
最近だと、「原風景」という言葉を書き留めた。
僕の原風景と言えば……一つ挙げるなら、愛媛県西予市にある桂川渓谷である。
小さい頃によく家族でキャンプに行っていた場所で、いろいろあって書ききれないが、朝早く起きて、薄暗い山の中を散策するのはすごく楽しかった。幻想的とはまさにこのことで、木々や苔、あるいは川の深い碧色に吸い込まれそうであった。
美しい記憶である。